伝説のチーマー鬼丸慶一郎とは?大宮出身で俳優に転向、亡くなった経緯を調査してみた

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鬼丸慶一郎とは

大宮出身の亡くなった俳優鬼丸慶一郎さんは、生前は芸名「鬼丸」で俳優として活動しており、映画「ジャンクフード」で俳優デビューすると、1998年「ポルノスター」、2014年「クローズEXPLODE」等の映画や、Vシネマでは2002年「新・広島ヤクザ戦争武闘派列伝」2007年「闇金の帝王」で、俳優としてご活躍されていました。

映画や、Vシネマを中心に活躍していた慶一郎さんですが、俳優業で食べていけるほどの稼ぎはなかったようです。そのため大宮でストリートファッションショップやBARを経営されていたそうです。

また慶一郎さんは荒れた少年時代を過ごしていたそうで、地元大宮で暴走族をしていたと言われています。慶一郎さんが所属していた暴走族は「関東武蔵連合・大宮緋龍会」というチームだったそうで、総長を務めていたという噂もあるようです。

なぜ伝説のチーマーと呼ばれるようになったのか

鬼丸慶一郎さんが伝説のチーマーとなった理由は、慶一郎さんが結成したとされている「鬼丸軍団」や「クリップス」が、日本初のカラーギャングであった、という説があるからだと考えられます。慶一郎さんが経営されていたファッションショップでは、青色のギャングファッションを多く扱っていたようです。

そして、慶一郎さんを慕っていた後輩が、このお店の青色のギャングファッションを好んで身に着けていたため、「青ギャン」とよばれていたそうです。この慶一郎さんが結成したカラーギャングは大宮から池袋、そして横浜へと広がっていったと言われています。