魏の戦略家、呉鳳明の発明とは?
魏の天才戦略家として知られる呉鳳明は、どのような方法で函谷関を攻めたのでしょうか。
その方法の1つが井闌車という移動型の塔のようなものです。井闌車自体は以前からあったものでしたが、呉鳳明はもともとの井闌車の高さに加えて、そこから橋を出すものを発明しました。
高さのある移動型の塔から橋を出すことで、高さ66mもある函谷関に合従軍は登ることに成功します。壁を登ることには成功したものの、最終的に井闌車が秦軍に焼かれたことで作戦は失敗してしまいます。
呉鳳明の作戦はこれで終わりではなく、今度は床弩という巨大な弓発射装置を使って攻めます。従来は2mの矢を放つものでしたが、呉鳳明は4mの矢を放つ床弩を使って、函谷関の壁に差し込みます。
矢の下についたロープから、魏の兵士が函谷関を登って秦を攻撃しました。1人の天才の発明で函谷関は落とされそうになったものの、いずれも秦軍側の対応で攻め落とされずに済みました。
その後函谷関はどうなったのか?
漫画『キングダム』において、函谷関は落とされることなく、秦は中華統一へと突き進みます。その後の秦末期の時代では、劉邦は難攻不落の函谷関をさけて、首都咸陽を陥落させ秦を滅亡へと導きます。
そして函谷関は、楚漢戦争の時代に項羽軍に破壊されることになるのです。ですが前漢の時代に函谷関が新安に移転されるなど、中国の歴史において函谷関は難攻不落の壁として立ちはだかっています。
前漢にもつながるキングダムの難攻不落の壁
漫画『キングダム』にも登場する函谷関の戦いの鍵を握るのが、高さ66mの難攻不落の壁である函谷関です。魏の呉鳳明によって攻め落とされるピンチを迎えますが、戦いでは秦が勝利し函谷関は壊されずに済みます。
秦が滅んだ後の覇権争いである楚漢戦争で函谷関は壊されますが、前漢時代に新安に移転されることになります。
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