1988年にブレイク
工藤静香というと「おニャン子クラブ」のイメージが強いものの、実はさらに遡っていくと意外な活動歴をもちます。
中学2年生だった1984年に集英社の人気ファッション雑誌・SEVENTEENが主催するミスセブンティーンコンテストで特別賞を受賞した事をきっかけに芸能界入りしました。
そのコンテストを経てセブンティーンクラブというアイドルグループの一員となり、わずかな期間ながら歌手活動を行っていた歴史をもちます。
「おニャン子クラブ」入りしたのは高校生になってからの事で、グループ入りすると「うしろ髪ひかれ隊」の中心メンバーとして活躍しました。
1987年夏に夕やけニャンニャンの放送が終了してからはソロ歌手としての活動をスタートざせ、翌年春に発売したバラード「抱いてくれたらいいのに」でブレイクしました。
この曲が発売された頃、工藤静香はまだ17歳の少女でしたが、大人っぽい顔立ちと10代後半とは思えない色気が大きな話題となります。
その1988年夏には中島みゆきが詩を手がけた「MUGO・ん・・・色っぽいが大ヒットし、18歳にしてビッグアーティストの仲間入りをしました。
1990年前後に独特なヘアスタイルが大流行
翌1989年はさらなる飛躍の年で、この年に発売したシングル全てがオリコン年間セールスランキングTOP10入りするという事も起きます。
1990年代に入ると女優としても頭角を現し、若い頃の工藤静香の定番ヘアスタイルは世の女性達の間で大流行しました。
またアイドル雑誌などが集計する「付き合いたい女性芸能人ランキング」的な企画でも、ライバル・中山美穂と共に上位の常連となるモテモテぶりだった事でも知られます。
昔の工藤静香がどんな髪型だったのか知りたい方は以下の画像をご覧ください。
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